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株式会社ビーエムシー

BMCの建築とは

Basic Main Construction

基本を大切にする建設会社でありたい。

1つ1つをもっともっと大切にしたい。

1日に何件もの現場を見るのではなく
あなたの住まいだけを見に行く日にしたい。

自分たちが、本当にやりたいことをやろう。
自分たちが、本当に造りたいものを造ろう。
素直にそう思っています。

一言でいうのはとても難しい。
でも、『いい家』を造りたい。
単純です。ただ、それだけ。

ゆっくり、じっくり、目に見えない未来のことまで
お客様と一緒に考えたいのです。

あなたにとって『いい家』とはなんですか。
どんな暮らしがしたいですか。
造りたい家ってどんなものですか。
ぜひ聞かせてください。

BMCの流儀

【流儀】って一体何?

『流儀』とは、簡単に言うと
・物事のやり方
・伝わっている技術や手法、様式
という意味があります。

『BMCの流儀』とは
つまり、『BMCのやり方、技術』という意味になります。
BMCは、ある一定の技術論に基づいて
必ずお客様に喜んでいただけるものを技術力の集団によって造ります。
10年先に必ず喜んでいただける住まいです。

会社概要

商 号
株式会社ビーエムシー(略BMC)
資本金
4,000万円
事業目的
  • (1)建築工事の設計、施工、管理及び請負業
  • (2)土木工事及び、その付帯工事の施工並びに請負業
  • (3)家具の製作、販売及び輸入業務
  • (4)古物の売買
  • (5)トレーラーハウスの設計・製造・販売業務
  • (6)損害保険代理業
  • (7)生命保険の募集に関する業務
  • (8)少額短期保険業者が引き受ける保険の募集に係る業務
  • (9)前各号に付帯関連する一切の事業
本社・住宅展示場所在地
〒444-2136 愛知県岡崎市上里一丁目3番地2
フリーダイヤル:0120-368-904
tel:0564-64-0067 fax:0564-64-0069
BMCトレーラーハウス事業部
〒444-0001 愛知県岡崎市箱柳町川北46番84
フリーダイヤル:0120-368-904
役 員
代表取締役社長 青山 徹
設 立
2014年11月4日
業務登録
建設業許可 愛知県知事 許可(特-31)第64978号
古物商許可証 第543851605000号

Staff

代表取締役社長
現場監督

青山 徹

Toru Aoyama

誕生
1963年8月3日愛知県岡崎市本宿町に生まれる
幼少時代
保育園に行くのが大好きで、保育士さんが大好きだった記憶があります。
保育園は本宿保育園でした。
小学校時代
兄が3人いる末っ子で、ごはんの時が戦争のような思い出があります。父親が生まれて一か月で他界しており、家はかなり貧しくて、2Kの借家で、袋詰めのインスタントラーメンをよく食べてました。(おかずが買えなかったのでしょうね)それでも健やかに育ち、足が速く、外で遊ぶことしかしませんでした。因みに絵を描くことと、飛行機を作ることが大好きでした。身長は6年生で168センチありました。ランドセルが似合わない…。小学校は本宿小学校に通っていました。
中学校時代
陸上競技の短距離選手でした。明けても暮れても陸上、陸上で3年生の時はこう見えても(今からすればですが…)西三河、東三河で優勝経験があり、陸上3種競技で愛知県準優勝になりました。勉強の方は、国語、音楽、英語は苦手。理科、数学は大好きでした。友達の女子からはお兄さんみたいと言われてました(そのころから老けてた…)中学校は東海中学に通っていました。
高校時代
本当は野球部に所属したかったのですが、結局、監督の策略で陸上競技部に入れられ、短距離選手でした。ここでも明けても暮れても陸上、陸上で3年生の時は走り幅跳びで東三河で大会記録を樹立。愛知県に於いても上位入賞まで行きました。豊橋工業高校建築科で宿題の製図がいつも間に合わなくて赤点ばっかりでした。卒業が危うく留年しそうになりました。でも構造力学は大好きでした。
就職
昭和57年(1982年)豊橋にある中堅の建設会社に入社。自動車学校。公立高校。郵政宿舎などに携わりました。新入社員の時は田原大橋の舗装もしました。
転職
上司の不正行為に腹を立て、会社を退職し、それからは技術の習得の意味も兼ねて鉄骨系の会社と木造系の会社に転職しました。バブル期でとにもかくにも寝る暇がないぐらい忙しかったです。最大現場を15件ぐらい同時に管理していました。
結婚
昭和63年(1988年)1月12日に母が他界して、その年の4月3日に結婚しました。結婚しても忙しく、週に3回ぐらいは午前さま状態でした。妻が相当怒っていました。平成2年(1990年)に第一子(長男)を授かりました。平成元年に家を建てました。
起業
平成3年(1991年)2月26日から6,5畳の事務所を資本金40万円で自作で作り起業しました。半年ぐらいまともな仕事がなく、最初は相当大変でした。平成4年(1992年)12月8日に株式会社を設立して、私と従業員1人で毎日忙しい日々を過ごしていました。子供にも恵まれ、平成4年に第二子(次男)平成6年に第三子(長女)が誕生しました。
その後
家具屋のマネジメントや住宅会社のコンサルティング、他には八ヶ岳で別荘の建築を行っていました。
最起業
平成26年(2014年)11月4日に株式会社ビーエムシーを始動させました。平成28年(2016年)4月より次男の健哉が入社。現在業務邁進中です。年間10棟ぐらいが自分のペースです。
今思うこと
今まで様々な経験を積んだ中で、家づくりとは何かがやっと見えてきた気がします。
そのことを少しでも出会う人に伝えたい。ただそれだけです。
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現場監督

青山 健哉

Kenya Aoyama

誕生
1992年9月30日、愛知県岡崎市に生まれる。
幼少時代
1996年第一さわらび幼稚園に入園。
まだ幼く純粋だった僕は、近所の東公園に行き猿山の猿を見るのが好きでした。
ある日猿同士で喧嘩しているのを見た僕は思わず、「だめ!喧嘩しちゃだめ!」と言い猿の喧嘩の仲裁に入り止めたことも記憶にあります。
申年ということもあり、どこかで通じ合う部分があったのでしょうか。それはさておき、とても綺麗な幼稚園のゆか先生が大好きでした!
小学校時代
1999年根石小学校に入学。
とにかく元気で、なぜだか春夏秋冬、年がら年中半袖半ズボンで通学。6年間無遅刻無欠席で皆勤賞獲得。
部活動ではソフトボール部に所属し、5年生から野球のクラブチームにも入り軟式、硬式野球を経験。
楽しい学校生活でしたが卒業の年に坊主になり、似合わない坊主頭でアルバムに載ったことだけが唯一の心残りです。
中学校時代
2005年甲山中学校に入学。
中学ではかっこいい先輩がいるということもあり、バレーボール部へ入部。
3年生の頃には副キャプテンを務め毎日練習に励みましたが、大会で勝った記憶がほぼなく悔しい思いばかりでした。ただ、クラスメイトには恵まれ学校が大好きで、特に掃除の時間が大好きでした。
掃除せずに遊んでいました。反省。
高校時代
2008年岡崎工業高校土木科に入学。
高校でもバレーボール部に入り厳しい練習の日々でした。正直何度もやめたいと思いましたがやり切りました。
理不尽な指導?もありましたが、今ではいい思い出でもありとても濃い勉強をさせてもらったなと感じます。
卒業間近になり、今まで築き上げてきた無遅刻無欠席が胃腸風邪に負け記録がストップしてしまい何とも言えない感情でした。
この3年間で測量や力学、専門的な事を学びました。その中でも図面を書く作業の製図は好きでした。
入社
2011年岡崎市役所に入社。
配属先は「下水道部下水工事課」(現上下水道局下水工事課)。
新社会人時代
下水工事課で下水管の設計・積算、施工管理等を経験しました。
下水工事課では上司や先輩方、同期に本当に恵まれ、下水の知識はもちろんのこと、社会人の厳しさや在り方を教わるとともに、志の高い方がとても多く刺激を受けました。
役所生活を続けているうちに徐々に父と一緒に建築をやりたいという気持ちが芽生え、5年間という短い役所生活を終えました。役所の方々には本当に感謝しかありません。
BMC入社
2016年株式会社ビーエムシーに入社。
建築に関しては素人ですが、自ら志願し入社しました。
現在
入社してから、ただ家を造ることだけではなく様々なことを経験させて頂いております。
家造りとはこんなにも奥が深いのか。裏ではこんなにもやることがあるのか。
わかっていながらも最初はそんな風に思い、建築業界に携わる方への尊敬の想いが増すばかりでした。
今では、建築だけでなくトレーラーハウスの製造販売にも携わらせて頂き、日々様々な業種、お客様と接する機会も増えました。
その中で、図面や見積書の作成、接客、現場管理等、様々な業務を担い、勉強の毎日ですが、家造りを素直に楽しみながら関わらせて頂いております。
スタッフ数名だからこそ、それぞれの想いは変わらず、ただ、いい家を造りたい。
そのためにこだわりを持った家造りを今後も全力で取り組んでいきます。
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インテリアデザイナー
インテリアアドバイザー

鎌倉 佳恵

Yoshie Kamakura

誕生
1981年 7月1日 母、里帰りのため、新潟県にて生まれる
幼少時代
愛知県岡崎市にて育つ。好きな遊びは砂遊び。
大きくなったら、『おだんごやさん』になりたいなあと思っていました。
かけっこ得意、保育園は大嫌いだったので毎日泣いて登園していました。
そんな幼少期です。
小学校時代
学校の帰りはそろばん塾に通う日々。兄の影響が強いと思います。入った部活はバスケット部でしたが、早かった足は段々と遅くなり、部活も弱小でした。保育園から始めたピアノをコツコツと続けていました。絵を描くことが大好きで、外遊びも大好きでしたが、虫が大嫌いでした。(今も苦手)
中学校時代
家から徒歩5分の中学校へ入学。軟式テニス部に入り部活三昧の毎日。これぞ青春。好きな教科は、国語、家庭科、技術、美術。典型的な文系女子の道を歩み始めました。『造ること』に没頭するのが好きでした。
高校時代
岡崎西高校に入学。
自転車にて40分かけ通学。引き続き硬式テニスに明け暮れる。朝練はかかさない、まじめな高校生活です。ルーズソックス反対派でした。憧れの女子高生生活とやらはどこへやら。
美術で、テーマ、カフェで模型を製作する。今思うと建物を造ることへの興味の第一歩だったかもしれません。
大学時代
名古屋女子大学 家政学部 生活環境学科に入学。
岡崎から電車にて通学。憧れの建築、住宅の勉強を始めました。ここでは、ひとつのことを突き詰める面白さを知ったように思います。好きなことを勉強することがとにかく楽しい大学生活でした。
住宅をもっと知りたい。そして、イメージの世界ではなく、本当に、カタチにしたいと感じ始めました。
初めての海外旅行。ドイツ・イタリア・オーストラリアへ行く。
壮大な建築の世界と歴史に衝撃を受けました。
入社
愛知県岡崎市にて住宅会社に就職。『青山 徹』に出会う。この会社しかないと直感し入社しました。この時の話は、話せば長くなります。
新社会人時代
コーディネータースタッフとして採用される。
研修時代は、営業、現場を経験し、本当の家造りに触れ、たくさんのことを身をもって感じました。
イタリアのミラノサローネへ行く。世界が違う。規模が違う。考え方が違う。おもしろすぎる世界を経験。その後、自社にてオリジナルキッチンの開発に携わり、家具販売も経験しました。
物作りはやはり奥が深く、おもしろいと実感しました。
2009年 結婚。2010年 第1子出産。産休を経て復帰。引き続き、コーディネーターの仕事を行う。
BMC時代
2014年 第2子出産。産休を経て株式会社ビーエムシーへ入社。
現在
カーディーラー、施設、住宅と多種多様な物件のコーディネートを担当。
その他、ホームページ、イベント企画、宣材の作成等、事務所に関わる様々なことを担当しています。
スタッフ数名の小さな会社ですが、こだわりと熱意をどの会社よりも強くもっていると思います。
BMCにいるからこそ、経験できる事がたくさんあり、BMCにしかできないことがたくさんあります。BMC styleのモノ造りを広く発信していけたらと思っています。
『いい家』を造りたい。ただ、それだけ。そのためにできることに、最善を尽くします。
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1級建築士・設計

中村 弘行

Hiroyuki Nakamura

担当
設計を担当しています。
恥ずかしがり屋なので顔出しNGです(笑)
詳しくは、またお会いしたときにお茶でものみながらじっくりお伝えしますね。お楽しみに!